2013.08.08 Thursday
なんでも食べてきた日本人
日本人にとっては蛸(たこ)は馴染みの食材だが
世界で蛸を食べる習慣は、文明国では日本とイタリアだけだそうだ。
「日本人は二百七十種の貝、二百種の魚、二十種の哺乳動物、八十種の鳥類、九十種の海藻、その他、昆虫、爬虫類、頭足類など千五百種にも及ぶ動植物を食べてきた。」

Wikiより、マダコ
天災の多い日本列島のでは確かに特徴としては
天災が多く、気温の周期や海流の変異がある日本列島は
一見住みづらいように感じられるが
長期的に見ると生物の多様性を生み出し豊富な食材を生み出している。
また、天災はときには飢餓周期とも言える食料の間断も作り出した。
そのことが種の保存の本能から食べれるものはなんでも食べるという
民族性をつくり出したともいえる。
「 中国人の料理の広東料理の食材には、蜥蜴(トカゲ)もあれば、こうもりもあり、ゲジゲジから、蛇、猫、すべてを料理して食べるが、それでも全部で八百種ぐらいのバラエティでしかない。
それにくらべて日本人は千何百種、その一倍半にもあたる多くのものを、食べてきた。いわば何でも食べてきたのである。 」
これは日本人がつい当たり前に感じてしまう
日本列島の生物多様性のすごさに起因している。
とても恵まれた環境だった事実に感謝したい
ただ、現代の日本人はこの豊かな恵みより
海外の珍しいものに興味関心が高く。
本当の贅沢を見失っているいるように感じる。
そして、我々はこの環境を搾取破壊するのではなく
いかにして共存してゆくかを見つめなおす時期に来ている気がする。
「 日本列島の位置は温帯圏にある。しかも気象の上では、季節風と貿易風が吹き、寒流と暖流が流れ込む。二つの海流が交わりぶつかり合うところには、いろいろな回遊魚が遊泳している。しかも岩礁性と砂浜性との両方の海岸線が北海道から鹿児島までぐるりと一周している。そのため自然からとれる食料は種類が豊富であった。 また、森林の多い日本の国土の中には、多くの森林性哺乳動物が太古の昔から棲んでいた。複雑な地形は大小各各種の動物の分布を可能にしたし、鳥類もいろいろな種類がたくさんいた。 さらに岩礁や砂浜、三角州などの複雑な交錯は、豊かな沖積平野と海岸線を形成し、主として太平洋岸をとまりなく大陸棚は豊富な海藻と大量他種類のプランクトンの発生地となった。その結果、他種類の魚介類の繁殖をもたらし、豊富な山の幸と海の幸を人々に提供した。」
(「」内は『日本人の歴史●第二巻 食物と日本人』樋口清之著 講談社より)
世界で蛸を食べる習慣は、文明国では日本とイタリアだけだそうだ。
「日本人は二百七十種の貝、二百種の魚、二十種の哺乳動物、八十種の鳥類、九十種の海藻、その他、昆虫、爬虫類、頭足類など千五百種にも及ぶ動植物を食べてきた。」

Wikiより、マダコ
天災の多い日本列島のでは確かに特徴としては
天災が多く、気温の周期や海流の変異がある日本列島は
一見住みづらいように感じられるが
長期的に見ると生物の多様性を生み出し豊富な食材を生み出している。
また、天災はときには飢餓周期とも言える食料の間断も作り出した。
そのことが種の保存の本能から食べれるものはなんでも食べるという
民族性をつくり出したともいえる。
「 中国人の料理の広東料理の食材には、蜥蜴(トカゲ)もあれば、こうもりもあり、ゲジゲジから、蛇、猫、すべてを料理して食べるが、それでも全部で八百種ぐらいのバラエティでしかない。
それにくらべて日本人は千何百種、その一倍半にもあたる多くのものを、食べてきた。いわば何でも食べてきたのである。 」
これは日本人がつい当たり前に感じてしまう
日本列島の生物多様性のすごさに起因している。
とても恵まれた環境だった事実に感謝したい
ただ、現代の日本人はこの豊かな恵みより
海外の珍しいものに興味関心が高く。
本当の贅沢を見失っているいるように感じる。
そして、我々はこの環境を搾取破壊するのではなく
いかにして共存してゆくかを見つめなおす時期に来ている気がする。
「 日本列島の位置は温帯圏にある。しかも気象の上では、季節風と貿易風が吹き、寒流と暖流が流れ込む。二つの海流が交わりぶつかり合うところには、いろいろな回遊魚が遊泳している。しかも岩礁性と砂浜性との両方の海岸線が北海道から鹿児島までぐるりと一周している。そのため自然からとれる食料は種類が豊富であった。 また、森林の多い日本の国土の中には、多くの森林性哺乳動物が太古の昔から棲んでいた。複雑な地形は大小各各種の動物の分布を可能にしたし、鳥類もいろいろな種類がたくさんいた。 さらに岩礁や砂浜、三角州などの複雑な交錯は、豊かな沖積平野と海岸線を形成し、主として太平洋岸をとまりなく大陸棚は豊富な海藻と大量他種類のプランクトンの発生地となった。その結果、他種類の魚介類の繁殖をもたらし、豊富な山の幸と海の幸を人々に提供した。」
(「」内は『日本人の歴史●第二巻 食物と日本人』樋口清之著 講談社より)